和食での「おいしい」がそれ以外の料理でもらうのよりうれしい理由

和食での「おいしい」がそれ以外の料理でもらうのよりうれしい理由

今日の夜ごはんは
久しぶりの和食ごはん

  • ほうれん草の胡麻和え
  • きゅうりのたたき
  • もやしサラダ
  • 鯖の塩焼き
  • あさりのお味噌汁
  • ごはん

 

 
夫が何度か
ゆっくりした口調で
味わいながら
「おいしい」
って言ってくれたことが
うれしくて
 
わたしも、ごはんと一緒に
そのうれしい気持ちを噛み締めながら
久しぶりの和食を味わった
 
 
で、その「おいしい」をいただいた時に
なんとなく気付いたんだけど
 
和食のときに「おいしい」って言ってもらうと
中華や洋食のときにおいしいって言ってもらうより
ほんの少しだけうれしいの度合いが大きい

 
 
いや、もちろん
中華や洋食のときだって
「おいしい」って喜んでもらえたら
すごくうれしいんだけど
 
和食のときにもらう「おいしい」は
特別感があるというか
 
ほんの少しだけ
他の料理のときよりうれしいって感じたんですよね
 
でも何でなんだろう・・・?
 
 

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苦手なことを褒められたからうれしかったんだ

なんだろう?
 
この”ちょっとだけ”うれしいが大きくなる感覚は
なんなんだろう?
 
 
考えてみた結果
1つの結論を出すことができた
 
それは
 
「苦手なことを褒められたから」
 
かなと
 
 
そういや、他の料理に比べて
和食を作るのがほんの少しだけ苦手
 
和食って味付けが繊細で
ごまかしが効かない
 
だから
気づけば自然と苦手意識を持っていて
なんとなく和食の回数が減っていたかもしれない
 
でも
日本人だし
時々和食がどうしても無性に食べたくなる
 
今までなら、ランチの時とか
気軽に外に食べにいくことができたけれど
 
今は簡単にはできない
 
そうなったら自分で作るしかない
苦手とか言ってる場合じゃない
 
 
「ちょうど美味しそうな鯖も買ってきたし」
「これは塩焼きとお味噌汁で立派な定食になるな…」
「あとはほうれん草の胡麻和えもあれば最高!!」
 
なーんて頭で思い描いて
レッツクッキング
 
 
想像の時点で美味しいのは分かっていたけど
実際に食べたときに
想像してたよりも”もっと”おいしいって感じた
 
そして夫からもおいしいがもらえた
 
で、気づけばあまり作っていなかった和食でもらえたおいしいは
作り慣れている中華や洋食でもらうおいしいより
ちょっとだけうれしく感じた

 
 

不得意なものも得意だって思い込めばいい

知らずしらずのうちに
少しだけ苦手意識を持っていた和食
 
でも今日せっかく
いつもの料理でもらうおいしいより
ちょっとだけうれしいって感じたのなら
もう苦手とか言ってないで
和食が得意だって思い込んでしまえばいい
 
得意だったら
出す回数も増やせるし
毎回喜んでもらえる
 
自分が苦手だからといって避けるのではなく
夫のためになるなら、苦手を乗り越えて
むしろ得意になってしまおう

そうすれば
夫のよろこびと
自分のうれしいを
増やしていくことができるんだから

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